かものはし日記8月号


8月1日

じゃーん

ということで
ノストラダムスの呪縛からついに解き放たれた今日
名前が変わります(笑)
加藤龍勇です
「りょうゆう」と読みます
勇ましくて偉そうな名前でしょ
(一階の中国人と同じくらい偉そう
彼の名前は「大偉」
とゆーか、おれも中国人のような名前だね)
どうしたんだ、大丈夫か?という友人もいたし
(どこぞの宗教にはまってつけられたんじゃないのか、とかね)
わっはっは、なんじゃそりゃと言われて
おれが付けたんじゃないんだ、と言い訳をしても
でも選んだのはおまえだ、と言われる始末(そのとおり)
しばらくはこの屈辱に耐えます(笑)
でもね、最初はびっくりしたけれど
今は気に入っております
だって、僕にいちばん足りないものは勇気だもん
感情で対処しなければいけないところを
いつも理性で回避しようとするのは勇気がないから・・
アフターノストラダムス
僕の人生も一般的な寿命を70才(そんなに生きたく無いけどさ)と考えれば
ほぼ折り返し地点です
しばらくはこの名前でいきますので
どうぞ宜しくお願いいたします

8月2日

最近は友人に頂いた歳時記を片手に散歩
歳時記って知ってる?
僕はその存在を1ヶ月前まで全く知らなかったのだけれど
俳句の季語が載っている辞典のような本です
公園のベンチに座って歳時記を開く
我ながらこのかっこよさにうっとりしてます(笑)

音というのは
空間に放たれたあと完全に消えてしまうのだろうか
まだどこかの空間の中で小さく小さく振動している様な気がします
龍のような形の雲をみかけたとき
太古の恐竜の叫びが空のどこかに残っていて
その振動が何かの拍子で大きくなり
雲に影響を与えて
龍のような形になるのかな、と思ったりするくらい
今年の雲はダイナミック

僕の守護動物たち
猫 かわうそ かものはし からす なまけもの
で、さらに
改名を記念して(笑)
カピパラを加えたいと思っている
横から見ると顔が長方形でしらふな目がプリチー

8月3日

近所の老夫婦が営んでいるお気に入りのたこ焼き屋さんで
たこ焼きを買ってきて
冷房を切って
カウンターテナー、スラヴァの「9つのアヴェ・マリア」を聞きながら
(プロデュースはピンクフロイドを手がけたグレッグ・ウオルシュ)
暑さを満喫しつつ
ハフハフとたこ焼きを食べていたら
知り合いから電話がかかってきて
なんだかしらんが不愉快な内容で
要するに私の状況を察して行動しないあんた(僕)は不親切
ということだろうが
人にものを頼むときは素直に単刀直入に頼もうね
私はこんなに不幸だ、と
状況だけを説明して
人の善意につけ込むのはよそう
さらに
それがうまく行かなかったからといって怒るのもよそう
気位の高さがそう言わせてしまうのもわかるし
気持ちも分かるけれど
なにかそのとげとげしさはすごく堪える
とゆーか
そのとげとげしさには応えられない

ビルゲイツが11兆円をどっかに寄付したとニュースでやっていたのは
どうでもいいことだが
11兆円は韓国の国家予算と同じ額という比較は
なんだか失礼なのではないの?
こういう一見悪意のなさそうなさりげない言い方には
ものすごい悪意を感じる
仲良くする気はないんかい?
こっちは中国のにーちゃんと仲良くやろうと四苦八苦しているのに
なんか腹立つ

8月4日

先月ちょっと紹介した
「パイ(円周率)の神秘」という本の中に
小数点以下延々と続く数字にはなんの意味もなくて
数字を音に置き換えても
音楽にすらならない、と書いてあったのですが
とある方に
円周率を音楽にしているサイトがあると教わって
行ってみたら
ちゃんと音楽に聞こえました
とゆーか、なかなか素敵
それが音楽に聞こえるかどうかは
聞いている本人の感受性の問題だものね
(子供の頃はキングクリムゾンが音楽に聞こえなかったけど
それがいまじゃ、近所のガキの縦笛の練習までが
フリージャズに聞こえる(笑))
宇宙は音楽でできているわけだから
延々と続く円周率も音楽なわけですね
すべてが音楽に聞こえたらいいね

一階の中国のにーちゃんは帰省したようだな
(あいさつぐらいしろよ、ねえ)
コルトレーンのトリビュートアルバムを借りてきて聞く
(にーちゃんがいないので大音量で(いつもはヘッドフォン))
「テイク・ザ・トレーン」
コルトレーンの音楽はこんなにおしゃれじゃないんだ
もっと生々しいんだ、と
夕日を眺めながら思う
少し風が出てきたと思ったら
すごい豪雨
そうそう、コルトレーンはこんな感じだ

文章を書くという行為の弊害
どうも書いていると考えがまとまりやすい
というか
考えをまとめようとするために
自分じゃ思ってもいない方向に話が進んでいく
思ってもいない方向に行くことを想像力と言っても良いのかもしれないし
無意識の具現化と言っても良いのかもしれない
それは新たな地平を開く素敵な発見なのかもしれない
でも
たまに日記を読み返すと
あー、綺麗にまとめちゃってうそばっかりとか思って
恥ずかしくもなるのです

深津絵里ちゃんが出演しているドラマ
「彼女たちの時代」
というのを毎週みています
他人の気持ちをわかろうとする力と
他人の気持ちを切り捨てようとする力
両方とも大事な力なのです
ただそのバランス点を見つけるのが難しいし
見つけたとしてもそれは次の瞬間には別の所に移動している
そんなドラマかな

8月5日

シャーマニズム関係の本のなかで
頭痛に悩まされていた著者が
シャーマンのおっさんに
これを飲んでおけ、と
アスピリンを渡されるシーンがあって笑った
精霊の力でもって病気を治すという超自然的な療法を司る彼らが
ちゃんと現代医学の成果も認めているバランス感覚が素敵

20世紀後半は政治家がバカにされはじめた時代
21世紀は
科学者がバカにされる時代というのもいいんじゃない
科学者がくだらないことを始めようとしたら
(マンモスを復活させようとしたり・・)
よってたかってバカにする。
科学を含めたいかなる思索も
死というものを真正面から見つめたものでなければ
生きた現実をきっちりとらえたことにはならないと思います
科学は死の恐怖からのがれるために
死そのものを克服しようとしている
それは本当に幼稚なことだし
くだらないことだと思っているのです
科学者ではない普通の人々は。
(もちろん、すばらしい科学者もたくさんいます。念のため)

公園の木の下でお昼御飯を食べ
その後、しばらく読書
森の中はとても涼しい
それが公園の人工の森でも
同じ日陰でも樹の下は天然のクーラーだ
しばし樹に手を当てて
感謝

8月6日

この世界は物質でできているのではなくて
実は言葉でできているのではないか、とふと思います
たとえば現実の世界で受ける体験も
夢をみることも
結局は脳の中で起きているわけですから
実際物質がそこに存在するかどうかなどわからないのです
言葉だってそうなのですけれど
なぜか物質よりリアルな感じがするのです
言葉が世界を生み出す
言葉が発せられた瞬間にその言葉が物質化する。
むかしむかし
「言葉を手入れする者」という人たちがいました
彼らは庭を手入れするように
言葉を手入れして育んできました
ほおっておくとふさぎ込んで死んでしまう言葉達を
勇気づけ、自由に飛び回ることのすばらしさを
いつもいつも祈るように彼らに働きかけてきた人たちです
でも
時の流れの中で言葉を手入れする術は失われ
誰も言葉を手入れする者がいなくなったのが
今の状態です
手入れをしてもらえなくなった言葉は
死んでしまいました
死んだ言葉は人を傷つけます
世界を壊していきます
でも
言葉を手入れする者達の末裔はいまでも少なからずいるのです
詩人がそうかもしれません
音楽家も
絵描きも(いれてね)
あなたも
太古の昔より失われた術を
今こそ手探りで復活させる時なのかもしれません
(インターネットってまさしくそのためにあるような)

8月7日

今日は早起きして(6時!)
絵を描いて
お、なんとかうまくいきそうだなと思ったら気が抜けて
11時頃二度寝
昼頃何となく気配を感じて起きたら
後藤が原稿もって立っていた(玄関開けっ放しだからね)
ちょっと打ち合わせをする
お昼御飯を食べていたら(昨日の残り)
入院していた友人より電話
胆のうをとったらしい
もう天ぷらは食べられないと言っておった
体に気をつけないとねー
もう人生折り返し地点なんだから・・
2時過ぎに散歩に出る
太陽が傾いているので
顔の左半分にばかりに日が当たって、ちょっとひりひりする
公園でベンチに座ってしばし雲を眺める
夏の雲は1800円払って観てもいいくらい
映画以上に非日常的だ
部屋に帰ってくると郵便物の中に雑誌がいくつか
僕らの絵が綺麗に印刷されていたのでホッとする
4時
ええい、まだ日も高いし絵も描くけど
ビールを飲んでしまえ、とプシュッとやってしまう
後藤がやってきて
「あっ」と言う
(昼間っから仕事をしないでビールを飲んで、という顔)
しばし後藤と観てもいないスターウオーズの話をする
後藤が医者をしていてライトセーバーがさび付いていて
電源入れてもプラズマが出てこないジェダイナイトが出てくればいいのに
と言う
そうそうジェダイナイトは戦士である前に医師であるべきだ、と僕
ジェダイの精神的世界観を勝手に構築して盛り上がる
ビールを飲みながらふと思う
おれはスターウオーズを観にいけるのだろうか
無意識下ではビデオで済まそうとしているのではないか
ちょっと不安になる(どーゆう不安だ)
今日は日記らしい日記

8月8日

入道雲の輪郭線が少し不鮮明になり
なんとなく秋の気配
商店街は縁日
ここ最近ではいちばん優しい気持ちで
人混みの中を歩く
両手を輪にすると空間ができる
その中が風で満たされた
今日はそんな日

8月9日

夜の洗足池公園の森の中のベンチは
「なにか」を想うにはいちばんいい場所
ネオンの光が揺らぐ水面
光害で真っ暗にならず深い青の中にくっきり浮かぶ雲
理想を想うのでもなく
目標もないけれど
でも
自分なりに正しい方向に向いて歩こうとしている実感は
少なからずある
なんだかわからない「なにか」を目指す
傍らには美しくしなやかな樹

8月10日

僕らの担当の編集者がバックパッカーであることが判明
学生時代はバックパックを背負って
ユーゴとか結構危険なところをひとりで回ったらしい
チベットにも行ったそうだ
「青」がさわれるくらいに
空が近い
チベットは出不精の旅行嫌いの僕が唯一行きたいところ
高山病で一週間は苦しむらしい
でも
それを乗り越えたらすばらしいんだってさ

ピンクフロイドの
ダークサイド オブ ザ ムーンを
久々に聞く
ちょっとかっこいい言い方をすれば
この音楽は僕の精神的な故郷
ちょっと帰省したい気分だった
いつ帰っても基本的な風景はまったく変わっていないけれど
帰る度に
光源は少しづつ変化している
そして、今日はそれが大きく変化していることに気づいた
一瞬、どこに立っているかわからなくなってしまったのだけれど
不安はなかった
さすがは故郷

8月11日

造形作家のヨシカワゴエモンさんの展覧会に行く
昆虫をテーマにしたグループ展
相変わらず彼の造形はかわいいし
奥さんは相変わらず美人
会場でワインを飲み
帰りにレストランでビールを飲んだ
少し酔っただけなのだけれど
いつもは決してはずれないものがはずれた
(いつもはどんな酔っぱらっていても
加藤は目だけはしらふだ、と言われていたのだけれど)
最近は自分の回りに張り巡らされているバリアが
弱くなった
これは僕にとってはいいこと
バリアを弱くする勇気が出てきたということだもの

8月12日

今日は弟に頼まれたMOドライブを買いに
秋葉原へ
蒸し暑い日だったけれど
お盆休みのせいか人は少ないので
ちょっと歩きやすい
コンピュータに囲まれながら2000年問題を想う
とあるハッカーが
日付のプログラムを自動的に直してくれるコンピュータウイルスを
開発する
(天才ハッカーならばできるような気がするけれど)
そして彼は聖なるハッカーと呼ばれ伝説となる
そんなやつがハッカーの中にいてもいいぞ
おれは許す

8月13日

信頼に足る相棒に感謝を
優しい気遣いをしてくれた友人に感謝を
そして
偉大なる女性達に感謝をする。
今日はそんな日
宇宙は多分女性でできていると
観念ではなく
初めて実感できました

8月14日

今年の夏の空の記憶が
一気に初期化されたような激しい雨
夏の記憶は雨となって
大地に染み込む
そして
雨が上がり
夜には気持ちのよい秋のデータが窓から入り込んで
部屋の中の夏の記憶を書き換えていく
あっさり書き換えられてしまうには
少し惜しい記憶もあるけれど
記憶も季節のように変化していくものなのでしょう
過去にとらわれず
新しい記憶を受け入れなければね
人の頭の中にあるのが記憶だけなのならば
記憶を過去の残像としてとらえるのではなく
ダイナミックな未来の希望としてとらえたい

8月15日

この世界は
たくさんの平行宇宙の集合体だ
薄皮一枚となりのたくさんの宇宙のなかのひとつを
僕らは瞬間の判断で選択しながら生きている
人生を平行宇宙の旅ととらえれば
その世界には因果律にしばられた時間など存在しない
未来にも過去にもいける
過去にいって
迷っている昔の自分に助言を与えることも可能だ
未来にいって
間違った宇宙にいる自分を救い出すことも可能だ
そんな戯言って思うかもしれないけれど
いつだって
ほんの少しの幻想(妄想といってもいい)が
世界を豊かにしてきた
ほんの少しの幻想を抱く勇気
勇気があれば
平行宇宙の選択肢は格段に増える
いつもたくさんの平行宇宙を携えて生きている人
来世紀は
そんな人がいっぱいだと嬉しい

8月16日

友人夫婦(作家と絵描きの才人夫婦)が遊びに来て
夫婦漫才を披露される
「動」の妻と「静」の夫のコンビネーション
がとても素敵。
お二人は夫婦喧嘩をすると
必ず夫が泣いて、それを妻がなだめて終わるらしい
素敵でしょ
男がちゃんと泣ける環境があるというのは素敵なことだと思う
男が泣ける世界というのは
感情的に成熟した世界だ
(知性先行の世界では男は泣くことを許されない)
21世紀型夫婦のひとつのかたち

8月17日

ひとり、ぽつんとなって
ふと、実感として
生きているんだ! と思った今日の午後
こんな思いは初めてかもしれない
「観念」という脱いでみたらやけに重い鎧を着ていた頃
その鎧はあまりに美しく軽やかで
これさえ着ていれば世界と戦えると信じていたのだけれど
知らぬ間にその魔力は消え失せ
ずっしりと鎧の重みが僕の生命力を奪っていたらしい
実は
鎧はひとりでに脱げたわけではなく
脱がしてもらったのだ
でも鎧は何枚か重ね着をしていて
まだやっと1枚目が脱げただけ
(おれはタマネギか?)
小さいときから何枚も何枚も重ね着をしてきた
美しい意匠を凝らした無数の鎧達
そのうちの一枚でもいいから、自分の力で脱いでみたい

8月18日

男は鎧の重ね着をしているけれど
女の子たちは裸に風をまとっているだけ
よく翼のある女性を僕らは描くけれど
本当は彼女たちに翼はいらないのだ
自分の回りの風をコントロールして
体を浮かせれば
自由自在に空を飛べる
翼はただの飾り
ただの観念
今はまだまだ少ないけれど
たまにすっぽんぽんで空を飛んでいる女性を見かける
来世紀は空一面に飛んでいるかも
素敵な眺めだよ、きっと(笑)

10日ぶりくらいにプールへ
もうじき夏が終わるという危機感からか
結構人が多いので
泳ぎにくい
ちゃんと前を向いて周囲に気を配りながらクロールが泳げる人は意外と少ないのだ(おれも)
あっちこっちで正面衝突
日もだいぶ短くなってきた
プールの半分が建物の影になる
こころなしか水も冷たい
もう秋なんだね
プールの水ってどのくらいの周期で交換するんだろうと
夏の記憶でにごった水に浸かりながら
ふと思った

8月19日

自分の中の弱さが
まるで音楽がつるつると空間に染み込んでいくように
誰かに受け入れられていく過程は
なぜかとても懐かしい。
自分の中の弱さが
大地に包み込まれ
植物の種のように生長し
花を咲かせた
そんな記憶があったかのような錯覚を起こすくらい
懐かしい。
今度はどんな花が咲くだろうか

8月20日

弟のマックにMOドライブを装着しに
実家へ帰る
夏の終わりの鎌倉は
比較的閑散としていて観光客も少なく
近所の神社(鎌倉宮)ではお祭りをやっていて
カラフルな出店が何店か出ているけれど
人の姿はまばら
父と母と弟と優しさを感じながら
夕食を食べる(しゃぶしゃぶ!)
家族への感謝の証を弾に込め
38口径の拳銃をやつらに3連射して
風のように東京に戻る

8月21日

マイルスデイビスの音楽のような日
マイルスがトランペットで空に漂う音楽を捕まえて
「ピュウッ」いう音とともに
音楽が地上にソフトランディングする
天空の自由と大地の優しさ
そうか
彼のトランペットは「ピュウッ」という一瞬で
それを表現していたんだな
その一瞬が
輝く金属の輪に結晶化したそんな感じ
音楽というのは
どんな未来になっても円(輪)に保存して欲しい
(レコードとかCDとか・・)
円は宇宙だもんね
曼陀羅だもんね

友人にもらったうどんを食べる
(昨日も食べた)
多分明日も
3食分のうどんの賞味期限は3日だ
相変わらずうまい
これからの人生
うどんのように太く
うどんのようなこしと粘りとリアリティで
生きていこうと誓う

8月22日

今日もうどん
今日は野菜天をそえて食べようと思い
スーパーへ
日中はまだまだ暑いけれど夕方はだいぶ涼しい
雲はくっきりしたペン画から淡い水彩画へ
青層圏はもう秋だ

胆のうを切除した友人より電話
彼はもう脂っこいものが食べられないらしい
野菜天を食べながら
(天ぷらなぞもってのほか)
ちょっと友人に「すまん」と思う
うどんを食って
風呂に入って
日曜美術館を観て(岡本太郎!)
N響アワーで檀ふみが向こうの方から歩いてきたあたりから記憶がない
寝てしまった

8月23日

ゆりかもめに乗ってお台場へ
子供の頃に本で観たような未来都市
なぜか懐かしく
美しく
そして嫌悪
人間のランドスケープへの干渉を
頭ごなしに否定はしないけれど
海をゴミで埋め立て
地形を変え
その上に美しい半透明のビルを建てる行為は
あまりにも自然に対して鈍感だ
究極の鈍感さは
究極である故にとても美しい
感情は嫌悪しているはずだが
理性は美しいという信号を出している
感情だけが
人工灯のあたらない暗がりで
足を抱えてぽつんと座っているイメージばかりが頭によぎる
それは僕の外側で起こっているのでは決してなく
自分の頭の中で起こっていることが
投影されているんだ、って思いながら
美しい夜景に魅せられていた

8月24日

フォトショップのアップグレードのお知らせがくる
毎年毎年秋になると
フォトショップを筆頭に
いろんなソフトがアップグレードする
秋は業界的にアップグレードの季節なのだろうか

8月25日

来年の夏
ほぼ1年後
展覧会を久しぶりにやろうと思って
銀座の画廊に下見に行く
画廊の名前は「月光荘」
素敵な名前でしょ
こじんまりした小さい画廊ですけれど
なかなか素敵なところです
テーマは
「青」
その昔
「未来から来た小さな青」というタイトルの絵を描きました
来年は20世紀最後の年
「21世紀から来た小さな青」という感じでしょうか
20点くらいは飾れるかな
今からかきおろしをします
具体的な事が決まったら
告知しますのでどうぞよろしくお願いします
みんなきてね

8月26日

夜は雨
一雨降る事に
水の勢いが夏を削り
その下から秋がたちあらわれる
というには、まだまだ早く
夏を
雨が
秋という模様に削っている感じかな

小さいからだを
類い希なる精神力でフル稼動させて
オーバードライブ気味に生きていく女の子
どう言ってあげれば
もう少しペースを落としてくれるのだろうか
というのが
最近の僕の悩み
野生の狼に
何を言っても無駄なのだが
とりあえずは
目を離さない
どこでぶっ倒れていても
すぐ見つけられるように・・

8月27日

昨日の夜
ぶっ倒れていた野生の狼を駅の改札口付近で見つけて
連れていって
自宅で介抱
野性の女性性は
病で倒れても
眼は虚空を見つめず現実を睨み続ける
一夜開けて
少し元気になったせいか眼が優しくなったね
よかったよかった
来世紀へむけて
女の子たちの役割は大きく変わり
世界に対する責任を一手に引き受けるようになる
男たちは
街で倒れている野生の狼たちを見つけたら
優しく介抱してあげましょう
それがさしあたっての僕ら(男)の役目

8月28日

九州熊本のとあるおうちで久々に猫を抱きしめる
さらに
6匹の大きい犬に抱きつかれて歓迎を受ける
とてもうれしい
というか
普段、おれは動物の味方だ! と宣言している手前上
吠えられたらどうしようと
内心びくびくしていたのだが
猫たちにも犬たちにも気持ちよく迎えていただき
とてもうれしかった

8月29日

昨日の夜、是非犬の散歩に連れていって欲しいとおうちの人に頼んだら
(実は犬の散歩というものをしたことがないのだ)
朝6時にお声がかかり
飛び起きていそいそと犬の散歩に出かける
大きい犬なので引き綱の引きが強くて
その強さが心地いいし
一緒に走るのも気持ちがいい
(大きい犬と一緒に走るのが夢でした)
30分の夢心地

8月30日

猫二匹(ちーちゃんとリーベルちゃん)と一緒に朝を迎える
猫がどっかりとベットの上で寝ていたため寝返りがうてなくて
ちょっとからだの節々が痛いが
これも久々の心地よい痛み
猫を撫でながら朝焼けを眺める
たった2日でちーちゃんとはすっかり仲良くなり
歯磨きをしているときも足にすり寄ってくる
彼女はもう僕の愛人だ(笑)
もうお別れだけれどまた会いに来るからね
と、ちーちゃんに話しかけて東京へ
そういえばおれは何しに熊本にいったのだろうか
東京に帰ってきて空を見上げる
東京の空はおれの嫌いなあいつ(特にモデルはいない)の心のように狭い
熊本の空はとても広かった
また広い空と犬たちと猫たち(とくにちーちゃん)に会いに行きたい

8月31日

建物と建物の間から
のぞき見するように
今年最後の夏の空を見上げる
雲はすでに秋だけれど
日差しはまだまだ夏ですね

思考はシンプルでありたい
思考をシンプルにすれば
行動はなんなく複雑な状況に対処できる
世界でいちばんシンプルな思考は「愛」
何を愛しているか
誰を愛しているか
ただそれだけを考える
愛は
安定というものが存在しない過酷な自然界に対処できる唯一の武器なのかも
なーんて
今日のジャイアンツの岡島のピッチングを観ていて思ったのだ
今日の彼のピッチングに
シンプルな愛を感じました(笑)
復活おめでとう


back