かものはし日記7月号


7月1日

今日の雨は粒が大きい
傘なしではちょっと痛い

心療内科の待合室に
諸星大二郎の単行本がおいてあった、という話を聞く。
あんまりな話(笑)なので
(諸星大二郎の作品は大好きだしすばらしい才能だけれど
これからカウンセリングを受けようという人が待合室で読む漫画じゃないと思う)
いろんな人に話をしたら
「FBI心理捜査官ファイル」がおいてあった
という話まで出る始末。
心療内科医というのは
待合室の本の選定までは気を使わないのだろうか
それとも
諸星大二郎の単行本も
FBI心理捜査官ファイルも
治療の一環なのだろうか
うーむ
ちなみに僕らの画集はとある歯医者さんの待合室に・・
(いまはもうないかな)

7月2日

常に強く、なんて
物事の一面しか見ていない証拠
常に正しく、なんて
想像力のない証拠
常に弱くけっこうめちゃめちゃ、が好き(笑)

努力が嫌い
努力は常に環境破壊を伴う(笑)
努力は常に他人を傷つけるし、本人も追いつめる(笑)
努力して得たものなんかつまんない
(だって、あらかじめどうなるかわかっているじゃないか)
努力は嫌いだー!
努力をせずに問題を解決してこそ
地球の生命体としての「野性」ってもんじゃない?
(違うかな)
広辞苑の第六版から
努力という言葉を削除しろ
来世紀には必要のない言葉だ
世界の偉人の伝記には
(やつらが偉人かどうかははなはだ疑問だが)
「私は血のにじむような努力をして・・・」とか書くな
「テキトーにやったらできちゃいました、あはは」と書け
人生なんてなめてるくらいがちょうどいい
宇多田ひかるも松阪投手も
U-22のオリンピック代表も
みんなみんな人生をなめているから凄いのだ
(U-22なんてきっと今のA代表より強いぞ)
だってなめなきゃ味はわからない
(すみません、今日はちょっと変です(笑))

なぜ、変かというと
すごくたまーにカップラーメンが食べたくなる
(化学調味料の甘美な誘惑)
今日がその日だ
そして、毎度のことだが
おなかをこわす
お腹痛いです、いやほんと

世界の気配を感じとろうとするのではなくて
物事の核心に迫ろうと意気込んでいる作品は
核心に迫ろうとする意志が強ければ強いほど
稚拙というか
幼稚になっていくのはなぜだろうか
と、ある作品を遅ればせながら観て思った。

7月3日

タブーは破るためにあるのだけれど
品性は守らなければならない。
メディアに関わる人間の基本
(もちろんホームページも)

あの時はそうは思わなかったけれど
あの時がターニングポイントだったということはよくある。
小学校六年生の頃
勉強が嫌で
もう勉強なんかするもんか宣言を母親にしたら
母親は僕の本棚にあった教科書と参考書のたぐいを全部
ダンボールに詰めて
日曜の夜にゴミ捨て場に捨ててしまった。
明日は月曜日だ
ゴミの日だ
このままではぼくの教科書は
清掃車に持って行かれてしまう。
日曜の夜中
僕は泣きながら自分の教科書をゴミ捨て場から拾い集めた。
今思えば
あの時、教科書ごとき捨てられても平然としていて
拾いに行かなければ
僕の人生はもっと変わっていただろうとも思う。
あの時のことを電話で母親と話をしたら
「ほんとにそうよね。」といって笑っていたが
彼女は僕が100パーセント拾いに行くと確信していたに違いない。

雨が上がって
夏の日差しが
空の表面に雨と風が刻みつけた水のうねりの文様を浮かび上がらせる。
文様も複雑に繊細になってきて
だいぶ
夏の雲らしくなってきました。

7月4日

本当にリアルな状況というのは
実験室の中では起こらない
何かが起こるということは
それが起こるための自然の要因があるはず
自然のタイミングがあるはず。
僕らは実験室の中に住んでいる
実験室の中では
何度も何度も実験を重ねて機械化された事しか起こらない
さらに
実験室の中で起こらないことは
間違っていることとされ
排除されてしまう
現状では出ることはほぼ不可能な
この巨大な実験室の中で
リアルな状況を生み出そうと思ったら
祈るしかないよね
だって、祈りというのは
人の内的自然がいちばん立ち上がってくる行為だもの


A代表(パラグアイに0-4)
トルシエ監督にすっかり匙を投げられ
チームとしての限界も見極わめられ・・
とほほ
ピッチの中は自然環境なのだ
「おれたちは実験室で戦っているんじゃない
自然の中で戦っているんだ!」
(青島刑事の口調で)
がんばってほしい
祈ってます

7月5日

1時間59分
昨日の横浜巨人戦の試合時間
2時間を切る試合なんて記憶にない
(大抵だらだらと3時間以上続く)
ボールに気持ちを乗せて
さくさく投げる上原の投球に思わずほれぼれ
解説の元広島のピッチャー川口さんのよう
(彼のピッチングも美しかった)
なんか救われちゃうな
昨日はよく眠れた
巨人の二人のルーキー上原も二岡も試合にでながら
どんどんうまくなっていくのが凄い
こーゆう野性的な奴はサッカーに転向して!
(身も蓋もない・・)
でも、セリーグはとりあえずどうでもいいのだ
問題はロッテだ
山本功児監督だ
黒木よ、選手のみんな!
山本監督を男にしてくれ

人は大抵変態である
どんなにさわやかな笑顔をしていても、ね
ひとりになれば
人には見せられない行為をしているのだ
フルチンでリーリンチェイのまねをしたり(おれ)
鼻の穴にステレオイヤフォンを詰め込んで
ボリュームを最大にして、鼻の軟骨の振動で音楽を鑑賞したり(おれ)
どんなにくだらない行為でも
それはその人らしい瞬間なのだ。
そーゆう秘密の行為に光を当ててはいけない
おかあさんはベットの下に隠している(つもり)の本を
探し当てて息子とそのことで話し合ってはいけない
しかしどいつもこいつもなぜベットの下にエロ本を隠しているのだろうか
ほとんど習性に近い
だって0点の答案をベットの下に隠す奴はいないでしょ
ベットの下に隠すものはエロ本と決まっている
もっといい隠し場所があるはず
必ず見つかるのに・・
もしかすると
母親と息子の間には
息子がエロ本をベットの下に隠して
母親がそれを見つけても何も言わない
というプロセスが健全な人格形成とお互いの健全な関係性に必要なのを
本能として知っているのではないか
ちなみに僕もエロ本はベットの下に隠していたが
母親は何もいわなかった。
(えらいぞ、かーちゃん)
一度、隠していたのと違うエロ本を見つけてびっくりしたが
多分弟の仕業であろう。
(交換したんだな・・言ってくれればいいのに。ま、兄弟でも恥ずかしいから
お互い何事もなかったふりをしていたけれど)

7月6日

昼飯時そば屋でスポーツ新聞を読んでいると
トルシエとA代表の選手の間がすこぶる仲が悪くなっているし
小野が負傷して2次予選出場が危ぶまれている
おいおい
日本サッカー界はすっかりハルマゲトンだ
トルシエが恐怖の大王か?
まあ、でもゆっくり段階を踏んで強くなってくれればいい
ディフェンスはフラット3でいいじゃない
性急すぎるよな
なんか明日にでもブラジルに勝とうとしている勢いだ

人はなぜ4足歩行をやめて
2足歩行になったか
別に自由になった前足を器用に使って
地球を好き勝手に改造する為じゃない
だれかをぎゅっと抱きしめやすくするためだ
ぎゅっ、とね
(ずっと抱きしめやすくなったよね、昔にくらべると(笑))
「人」という字は
別にお互いを支え合っているわけではない
抱き合っているのさ
ぎゅっ、とね

7月7日

七夕です
七夕を季語で「星の恋」というそうです
綺麗な言葉ですね

友人ともよく話すのですが
インターネットの世界はやっぱり言葉の世界です。
(どんなに技術が進歩して画像やムービーや音楽がスムーズに送れるとしても)
とゆうか
言葉がいちばん合っている。
やっと言葉が野に解き放たれたという感じでしょうか
電脳空間の中を
たくさんの言葉という葉っぱが風に乗って自由に踊っている
そんなイメージ
多分
いままで言葉がいちばん不自由だったのかもしれない
こんなに不自由だったのをだれも気付いてくれなかった
そんな気がします。
えー
日記しか更新していない言い訳じゃないです(笑)
近いうちに絵も更新します
そうそう
言葉を扱う方々へ愛と尊敬を込めて
(インターネットの世界は言葉を大切にしている方々がたくさんおられるので)
絵とか音楽が言葉にはならないものを伝えられてうらやましい
という話をよく聞きますが
(よく言われる)
それは幻想です
言葉で伝えられないものは
絵だって音楽だってなんだって伝えられないと思います
言葉というものは不思議なもので
言葉にならないものを言葉で伝えている
不思議なメディアです
なんだかよくわかりませんが(笑)
そういうことです
言葉はこれからもっともっと進化(深化)していくような気がします
逆にちょっとうらやましかったりして・・
(絵描きの加藤はちょっと弱気だ)

今日はいい天気だったねー
暑くても風はすがすがしい(湿度30パーセント)
毎年毎年異常気象ならば
冷夏とか
台風が来ないとかいっぱい来すぎるとかじゃなくて
「すがすがしい東京の夏」
という異常気象を演出して欲しい

猫は関係性を司る生き物です
野良猫(自由に外に出入りできる飼い猫も含む)は
街の中で滞っている関係性(気)の流れを
前足でちょこっとつついて
流れをよくしているのです
野良猫が一匹もいない高級住宅地より
たくさんいる下町の方が
関係性の流れははるかにスムーズで暖かいのです
なーんていうことを
風水師の人が言ってくれると
野良ももうちょっと生きやすいのにね
今日
とても悲しそうな顔をした茶色い野良猫の目を見てしまった

7月8日

一流スポーツ選手の動きというのは
ある意味とても色っぽい
それは体勢の崩し方が美しいから
人は動くときに体勢を崩しながら動くわけです
一流スポーツ選手はその崩し方が半端じゃない
南米のサッカー選手が体勢を崩しながらシュートを決めたり
イチロー選手の体勢を崩しながらの振り子打法
通常のシステマティックな身体感覚が
次の瞬間
流れるように崩れていく
それは物理的なものだけではなく
メンタルな部分にも言えることだとおもいます
素敵な絵は見事に崩れています
素敵な小説も詩も・・
誰かの会話も
体勢を崩しながらシュート!(入らなくてもいい)

カウボーイビパップのサントラ「no disc」の中に
cats on mars
という曲があって
歌詞がいい
「かせいのうえのねこみたいに
わたしのこころは かわりません
しんじないでね うそだから」
プリチーな詩だよね
さらに
「せんぞだいだい かもめ好き
しょうこはないけど さびしいの
かせいのうえの ねこだから」
かわいいから勝手に引用
作詞はガブリエラ・ロビンさん(誰?)

7月9日

加藤洋之改造(改名)計画1
ということで名前を変えます(笑)
以前からいろいろな方に名前を変えろといわれ続け
(あんまりよい名前じゃないみたい)
私の専属占い師(うそ)の方にも名前を変えろと言われ
そろそろ「洋之」にも飽きた頃だし・・
最初は名前を変えるのがいやだったのだけれど
変えるのもおもしろいじゃん、という気にいきなりなったので
(昔の人はころころ名前を変えていたようだし)
変えることにしました

名前というのは人につけてもらうものだとばかり思っていたら
占い師に自分で考えてこい!と一昨日言われ
昨日今日と友人を巻き込んでいくつか案を出して持っていったら
全部没にされました(笑)
結局その占い師の方に考えてもらいます
(最初からそうしてくれ)
「加藤」は変えません
友人のみなさま
私のことは相変わらず「かとー」とお呼びください
私より年下の方は通常「かとーさん」
年上の方は「かとーくん」
業界関係者は「かとちゃん」
姓は変わりません。
名前が変わるだけです
でも基本的に僕はあまり親兄弟以外に名前を呼ばれたことがありません
昔付き合っていた彼女も「かとさん」と呼んでおりました
僕のメンタリティはすべて「加藤」に集約されているようです
占い師に
加藤清正はどうだと言われ
冗談だとわかっていても結構びびって
(たのむよ、まじめに考えてよ)
寅退治はワシントン条約で禁じてますから
とわけのわからない切り返しをしてしまいました。
変な名前にされそうで恐いですけれど
ちょっとおもしろそうではあります。
12日の加藤洋之改造計画2にご期待ください

7月10日

自分が名前を変えるという
ある意味開き直った精神状態にいると
逆に
なんでみんな一生同じ名前なんだ(笑)
それでいいのか!
と訳わかんなくなって叫びたくなってしまいますが
でも
みんなハンドルネームとか持っていて
複数の名前を使い分けているんだよね

銀河高原ビールを飲みながら思うのだった
(小麦のビール、ちょっと不思議な味)
まるで銀河の高原にいるようだよ(うそ)
柿の種とめちゃめちゃ合わない

7月11日

今日の雨は雨量は多いけれど
雨滴のきめが細かい
そろそろ梅雨明けの気配か

もうすっかり洋之には未練が無くなって
洋之って誰?、てな感じですが(笑)
名前という自分の核となるイメージを手放すというのは
ちょっと快感です
(昔、あんなに大切にしていたプログレとジャズのレコードを全部売ってしまった感じに似ている)
来世紀へ向けて価値観も変化していくわけですから
名前もそれに合わせて変えるのもいいでしょう
21世紀型加藤ということです(笑)
という浮かれた状態も
明日変な名前を付けられた瞬間、一変するかもしれません
(やっぱり洋之がよかったって・・)
なんて考えながら
友人に頂いた信州限定ベビースターラーメン(わさびそば)
をつまみにわさびワインを飲むのであった
(うん確かにほのかにわさびの香りが)

テレビ番組「神々の詩」を観る
ナマケモノの特集
ナマケモノの緩慢な動きとぼそぼそしゃべるナレーションのため
途中でうたた寝をしてしまう
ナマケモノは戦わない
すべてを受け入れ
体の外と中にあらゆる生き物が寄生している動く森だ(苔まで生えている)
1日18時間も寝るらしい
時々空を見上げる
哲学的
そして
ちょっと恐いような愛嬌のあるような顔つき
せわしく動いて1日中遊び倒すカワウソも大好きだが
ナマケモノも好き

7月12日

色を塗っていて思うこと
色も影として扱いたい
たとえば青という色は青い影
赤は赤い影
太陽という映写機が地球に映す影として・・
その影が大地のエネルギーに影響を受けてうねりの形を創りだし
月の乱反射でわずかに揺らぐ
そーゆー絵を描きたい

森の中では
一本の木にナマケモノ一匹というなわばりが決まっているらしい
でもたまに
ナマケモノ同士がたまたま木の上で出会してしまうこともある
そんなとき彼らは決して戦わず一方は体を丸めて
臆病者のようにもう一方がその場から去っていくのを待っている
そんな光景を素敵だと思う
虚勢を張って威張っている奴はたいてい卑怯者だ
世の中卑怯者がいっぱいいるから
それを倒す卑怯者(俗に言うヒーロー)が必要になってくる
悪循環だねー
大抵の英雄物語は卑怯者同士のむなしい戦いだ
だから同じことを何度も繰り返す
卑怯者より臆病者の方がいい
ということで21世紀は臆病者の時代(笑)
「粋な臆病者」の時代
(前に「かっこいい弱さ」というのを書いたけれど、こっちのほうがいいや(笑))
スターウオーズ ファントムメナスが
ヒーロー不在の映画といわれているのも案外そんなところかも
(まだ観ていないけれど)
才能がある故にヒーローに祭り上げられたアナキン少年が
その重圧に耐えられなくなりダークサイドに落ちて行く
そんな物語なのかもしれない
あと、アミダラ女王という女性の存在が
悪循環の英雄物語のくさりを断ち切ってくれるかもね

加藤洋之改造計画2
ということで新しい名前を頂きました
たいそう偉そうな名前です(笑)
ちょっと恥ずかしいです
(後藤に苦笑され、母親に大笑いされる)
とりあえず改名は8月1日からです
どうぞ宜しく(いやほんと)

7月13日

コンビニのくじ引きで
お弁当50円引き券があたる
なんじゃそりゃ、っていうかんじ
この中途半端さが不景気の原因のひとつだな
しかしこの中途半端さの中にしか文化は存在できない
とか
訳わからないことをレジの横で思う

豪雨
パソコンのファンの音も聞こえなくなるくらいの雨の音
こんな日は野良にゃんこ達はどこで雨宿りをしているのか
そのことを考えるとまた不眠症

近所の熱帯魚屋が
猫を売り始めた
さすが純血種らしく毛並みも顔立ちも美しい

うちのアナクロほどではなかったということが
確認されたに過ぎない(笑)
アナちゃんかわいかったよ(過去形が悲しい)
そうそう
アナクロはおれにとってはすでに猫じゃなかったんだな
じゃ、なんだといわれると
アナクロだとしか言いようがない
(これ、前に日記で書いたな(笑)何度書いてもうっとり(病気))

7月14日

今日は大切な人の命日
もう3年
でもそのことを数週間前後藤に言われるまで
すっかり忘れていた
「大切な人の命日を忘れることが
その人にとっていちばんの供養になるのさ」
とハードボイルドな台詞をはく(大笑)
いつまでもお互いを想い出という鎖で縛り付けておく必要はないもんね
アナちゃんは別(笑)
彼女は僕の守護にゃんこだからね・・(笑)

来世紀に向けて
粋な臆病者を目指す僕としては
新しい名前はちょっと勇ましすぎるかな、と思います
臆病者になるのもそれなりの勇気が必要という逆説的なベクトルも受け入れなければならないということでしょうか
占い師のおっさんが心を込めて付けていただいた名前ですから
心を込めて受け入れたいと思っています
(占いが当たる当たらないということより、ぼくはこのおっさんが大好きなのです)
因果律より
シンクロニシティ(共時性)に重きを置く僕としては
因果律がもたらす安易な安心より
シンクロニシティがもたらす複雑な驚きに身を任せたい
世界は途方もなく複雑なのですから
複雑な世界に一瞬立ち上がる偶然(必然?)という小さい花を
偶然の出会いを大切にしたいのです
なーんて
いろいろ書いているのは
本当に新しい名前がちょっと恥ずかしいからです(笑)

7月15日

人は
世界に統一的なビションを与えてくれるようなシステムを持ちたいと願い
想像でつくりあげた法則をあたかも「発見」したように振る舞い
世界の究極的な目的について仮説をこしらえ、それを真実だと思いこむ精神的傾向
を持っている様です
人間は予言する猿
ホモ・エレクトゥス・ノストラダムス
とおフランスの哲学者は説いております(誰だかわすれた)
なぜ予言をしたいのかと考えれば
今自分が持っているものを未来でも手放したくない
できることならそれをさらに増やしたい
という欲望が背後にあるわけです
これが多分因果律的な予言の世界

シンクロニシティ的な予言の世界はといえば
チャンスオペレーション
積極的な偶然性の導入ということでしょうか
ここで大切なことは
シンクロニシティを起こすためには
何かを捨てなければいけないということです
捨てれば何かが来るのです
捨てないとなにも来ない
だから
いつまでも何かを「保管」していてはいけない
ということでしょう
でも、因果律的な予言を否定しているわけではありません
生きていくためには当然必要なことですから
ただ
もう少しシンクロニシティ的な世界に重心を傾けた方が
これから先、来世紀
もっと面白くなるのではないかと思うのです
さらにいえば
シンクロニシティの背後には
因果律にはない「感情」があるのです
誤解を恐れずに言うならば「愛」があるのです
(このあたりの説明は恥ずかしいのでしません(笑))
あとシンクロニシティには因果律のような即効性がないんだよね
「忍耐」も必要か・・な(苦手)

7月15日その2

バブルがはじけた頃
一時清貧の思想というのが流行りましたが
何かを「保管」してはシンクロニシティが起こらないのならば
シンクロニシティな生活もまた貧乏かもしれません(笑)
いっぱい貯金がある奴にシンクロニシティは起こりません(笑)
略して
シンクロ貧乏の思想(笑)

因果律の時間はファシズムのようにひとつに統一されて
それにあわせて生きていかなければいけないけれど
シンクロニシティの時間は
いろいろな時間が複雑に絡み合い
ふわっと瞬間が立ち上がり
また消えていく
それは誰かにあわせて生きていくというより
誰かの時間を尊重していくということ
他者(動植物も含む)の時間を尊重すれば
それだけ自分の回りの時間は複雑化し流体化して
シンクロニシティが起こりやすくなるということです
ひとたびシンクロニシティが起これば
そこには生命力の様なものが立ち上がり
何か素敵なことが起きるかもしれません
植物の時間を尊重して日々暮らしていけば
植物が花を咲かせる瞬間に立ち会えるかもしれない
そんな様なことです

7月16日

その人が大好きだったのに
自分の一番大切な気持ちをあげられなかった関係というのは
いちばん悔いが残ります
プライドが捨てられなかった
大切なものを渡せなかった
そんなことではシンクロニシティは起こらないのです

ペプシのスターウオーズフィギュアのおまけの袋を
ごにょごにょとさわって(盲牌?)
中身を確認している人をよく見かけるが
多分
フィギュア50体全部そろうまであといくつかなんだろう
(編集者の話によると15000円くらいかければ全部そろうらしい)
そーいうことしている奴はたいていおっさん
(気持ちはよーく分かる)
僕もさわってみたけれど(笑)
さっぱりわからない
アミダラ姫が欲しいのだが
当たるのはクリーチャーばかり・・

Xファイルシーズン6
第2巻第4話「クリスマスイブの過ごし方」
はなかなかいい話
モルダーとスカリーが
幽霊屋敷で幽霊にカウンセリングを受ける(笑)
モルダーは擬似的自慰傾向にあり
スカリーは共依存症らしい
そしてその原因は
孤独
僕はこの話がシリーズ通していちばん気に入ってしまった
かわいい話です

7月17日

シンクロニシティが起きたとき
過去の呪縛と未来の不安から解き放たれ
現在のみが立ち上がる
そんなとき時間は止まるのです
子供の頃はよく時間が止まりました

阪神VS巨人
9回表1アウト3塁
バッター松井に対して
今シーズン松井を完璧に押さえているピッチャー遠山が1球目を
ウエスト気味にはずした瞬間
名勝負は台無しになった。
遠山が1球目逃げたことで
松井は3球目を楽々犠牲フライ
止まっていたはずの時間は予想可能なつまらない未来へと動きだし
美しい現在は因果律の濁流の中に消えていく
もうしばらくは何も起こらない
野球に限らず
大切な瞬間というのがある
その瞬間を見極め
その瞬間だけは逃げてはいけない

7月18日

イデオロギーの時代は終わって
21世紀は「システム」が人類最大の敵なのでしょう
SFはそれを敏感にとらえて
未来のシステム社会を描き続けてきた
システムに取り込まれる人間と
取り込まれないように戦う人間
でも結局両方ともうまくいかなかったね
システムが人間を滅ぼそうとしているという問題点しか提示できなかった
で、その解決法はというと
世界的に評判の悪い日本人の国民性
「無責任!」
システムに駆逐されずに生き残るのは
無責任、いい加減さがいちばんいいのではないか
とふと思う
完全主義に徹していてはシステムの思うつぼだ
ストレスがたまるばかりだ
みんな分裂症になっちゃう
植木等はあんなに昔(60年代初頭)から
無責任主義を唱えてきた
(「無責任男シリーズ」だっけ?)
今から思えば良質で正しい近未来SFなのだ(笑)
彼がSFマガジンで再評価される時は近い(うそ)
世紀末、となりの山田くんのテーマも
「適当」。
何もアメリカ人のまねして
かっこつけて
てめーでつくったつまんねーシステムに対して
いちいち細かく全部責任なんてとらなくていいのさ
かっこわるくて結構
責任をとることだけが人の品性ではない
品性と無責任を両立できるのは日本人だけだぜ(笑)
(逃げてはいけない大切な瞬間だけを見極め、それ以外はだらだら過ごす)
来世紀には大学に
無責任科という学科ができるかも(笑)
いや必須科目か?
(「無責任」も学問として立ち上げれば無責任な奴もそれなりに尊敬されるんじゃないかなあ)

7月18日その2

シンクロニシティと無責任の関係
いつ起こるかわからないシンクロニシティに
約束や契約はできません
だから
責任なんかとれるか!
ということです(笑)
来世紀がシンクロニシティの時代ならば
無責任は必然ですね
(というか責任自体発生するかどうか・・)
あと
「だらだら過ごす」というのは少し語弊があるかもしれないので
無意識に過ごす、といい変えます
インディアン的な言い方をすれば「休む」です
無意識だけがシンクロニシティを感知できるセンサーなのかも

7月18日その3

TBS「神々の詩」で
アマゾン大カワウソの特集をやっているので大喜びで観る
本当は今日は上原が投げるので
阪神VS巨人戦を観たいところだが
カワウソのほうが大事
アマゾン大カワウソというのは初めて観たけれど
結構ごつくて恐い顔をしている
カナダカワウソを見慣れている僕としては
ちょっと違和感があったけれど
でもそこはごつくてでかくても大好きなカワウソ
とてもプリチー
でも絶滅寸前もう60頭前後しかいないらしい
オープニングのアマゾンの空撮
まだこんなに緑があると思うと少しホッとする
日本の上空を飛行機で飛んでいると
目に付くのはゴルフ場ばかりだけれど
アマゾンもそのうちそうなってしまうのか
どんなに自然関係のテレビ番組を放送しても
ノンフィクションを書いても
雑誌で特集を組んでも
映画を作っても
絵を描いても
決して自然破壊は無くならない
文化というのは無力なんだ、ということを
もう一度考えるべき
無力だから何もしないのではなく
無力だというくらいの謙虚さがなければ
何も伝わらないのだ
シンクロニシティは起きないのだ
と思うんだけど、その覚悟が僕にはあるのか?

7月19日

テレビで気象予報士が
晴れた日をいい天気です、と何気なく言っているが
雨の日はいい天気じゃないのか?
雨が降らなかったらどうするんだ
これは水に対する軽視だ
予報だってたいして当たらないくせして
さらに
水に対する侮辱的発言
言葉の中に近代以降人間が培ってきた
自然に対する侮蔑が密かに気がつかずに込められているのです
「みなさん、今日はいい感じの雨が降りそうです
傘を持って、るんるん気分で出かけましょう」
とか言ってみろ(笑)

映画「ビフォア・ザ・レイン」をビデオで観た
(94年 イギリス/フランス/マケドニア)
監督はミルチョ・マンチェフスキー
テーマは憎悪という名の絶望的な円環構造
言葉は憎悪をのせて走るのがいちばん幸せそうに振る舞う
「奴らは敵だ!」
多分何語で叫んでも
いちばん遠くまで響く言葉だろう(音速を超えるね、きっと)
そして
そんな世界にも雨が降る
雨が円環構造のわずかな隙間に入り込み
この絶望的な輪を断ち切ろうとする
「時は死なず、巡ることなし」という台詞で締めくくられる
見事な映画・見事な脚本

うちの向かいの町工場で
鈴虫差し上げます
という張り紙を見かける

7月20日

今日はどうやら休日らしい
住宅地の真ん中にぽつんとある釣り堀に
釣り糸を垂らしている人がたくさんいる。
釣りという行為はあまり好きではないが
水面に糸を垂らしてぼーっと瞑想しているかのような釣り人の姿は
けっこう好き
何か水と交信しているような、そんな感じ
釣り針ではなく小型マイクを浮きの下に取り付けて
水の音を
魚の息づかいを
ヘッドフォンで聴いている人たち
と、勝手な想像をする。

レオス・カラックスの映画
「汚れた血」を観る
フランス映画はぼそぼそした台詞(独白)が多いので
音は消して観たほうがいい
(音楽も不要だ)
字幕と映像だけ
小説を観ているような不思議な緊張感
「大きな仕事(やま)を踏むときは
前日に床屋に行って
犯行当日は身だしなみをきちっとしなきゃな
なぜなら、捕まったときに新聞に写真が載るだろう?」
フランス人は犯罪者までおしゃれだ(笑)

横浜の守護神、佐々木の肘が心配
彼は早く手術を受けたいのに(全治1ヶ月)
球団側は手術に反対らしい
(とりあえずは投げられるらしいので)
年棒5億で来年はFAで大リーグを望んでいる彼を
今年中にこき使いたい球団の気持ちはわからんではないが
ファンの誰ひとりとして
投げれば投げるほど肘が悪化していく佐々木の投球など
観たくないのだ
権籐監督まで手術に反対しているなんて。
去年は男を上げたのに

7月21日

日本語は
森と水と月からできた言葉で・・
えーと・・
暑くてなんも思いつかない

7月22日

「サタン」という言葉は
通常、魔王とか敵対者という意味だけれど
ヘブライ語でサタンという言葉を解析すると
宇宙の不確定性という意味が含まれるようです
サタンとは連続性や安定を粉砕し不確定性を付与する者。
量子物理学は
客観的な神の秩序としての機械的な宇宙を解明しようとしたら
不確定性原理という確定したものなど何一つ存在しないという
サタンを見出したわけです。
なかなかかっこいい話でしょ
(飲み屋で女の子に話すとモテモテだあ(笑))
誰が考えたのかは知らないけれど
言葉というものはすでになんでも知っているかのように振る舞うのです
人が謙虚に
言葉を生命として大切に扱えば
言葉はなんでも教えてくれるのかもしれないし
決して人を恐怖に陥れたり、縛ったりもしないのでしょう。
サタンという言葉を
恐怖心を乗り越えて、愛情と勇気を持って扱えば
宇宙は機械でできているのではなく
不確定性というものを備えた命なんだということがわかるわけです。
言葉というものを
人と人とをつなぐ単なる媒体というふうに扱うのではなく
人と言葉
というふうに
同じ生命体として付き合いたい。
極端な言い方をすれば
男性、女性、そして言葉というふうに
第三の性として付き合うのも楽しいかも・・
というか
言葉を使うということは
言葉とセックスをしているような感覚なんじゃないのかな(笑)
男と女が愛をささやき合っているときは3P(いや、4Pかな)
大人数で楽しく話し合っているときは乱交パーティ
ということだね(すみません、下品で)

7月23日

プールの帰り道
(なんか子供みたいなフレーズだな(笑))
この世の終わりのような夕焼けを見る
蛍光ピンクの雲とすこし抑えたコバルトブルーの空
映画「世界が燃えつきる日」を思い出した
知ってる?
ランドマスターという変なメカが出てくるんだけど
巨大さそりとか
ごきぶりいっぱい
そういえば、7の月ももうそろそろ終わり
小さいときから「ノストラダムスの大予言」が家にあった
われわれノストラダムス・エイジも
ようやく呪いが解けるわけだ
なんだったんだろうね
ご当地フランスではノストラダムスなんて誰も知らないし
盛り上がっていたのは日本だけ

7月24日

まんがのおにーさんと俳句のおねーさんがやってくる
(美男美女)
まんがのおにーさんはたくさんのビール
俳句のおねーさんはいっぱいのひまわりを持って・・
日当たりの良すぎる僕の部屋は
冷房の温度を16度に設定してやっと
室温27度
ゆっくりとしたとりとめのない会話は
話の内容もそうだけれど
気持ちの振動数が合っていて
とても心地がよい
いやー、前世でさー、という感じの同窓会?(笑)
夕方は居酒屋へ移動して
ビールを飲んで
ラムネ割をのんで
念願のゴーヤチャンプルーを食べて(ニガウリ大好き)
あした地球が滅亡してもいい気分だ
部屋に帰り着いて
部屋中の窓を開け放ち
たくさんの風が通り抜ける中
パンツ一枚で枕を抱きかかえて寝てしまった(笑)
朝起きたら
朝日に照らされたひまわりたち
一瞬、あれここはどこ?という感じ

7月25日

友人の小説家、伊吹秀明氏の巨乳スペースオペラ(笑)
星方遊撃隊エンジェル・リンクス」の同人誌が
コミケで発売されます
日時は3日目の8月15日
西2ホール なー4b
SF同人会パラドックスのブースで発売
伊藤岳彦先生の表紙が目印
僕らもちょっと描いてます
(アートギャラリーに載っているモノクロイラストです)
16ページ200円
原作者本人が作った同人誌です(笑)
彼はこれに命を懸けています(いやほんと)
よろしければ是非お買い求めください

夏らしい雲
けっこう離れたとこに住んでいる友人と電話をしながら
お互い窓から同じ雲を観ていた
今日は本当に暑くて
冷房を16度に設定しても涼しくならない
仕方ないので窓を開け放ち
暑い割には意外と涼しい風の中で長電話
その間
雲は刻々と変化していく
わが心の師匠メヴィウス先生は
来日したとき、まだ学生だった僕らに向かって
雲が私の先生だ、と言っておられた
あの時はなんのことだかさっぱりわからなかったけれど
今ならよくわかる
そして
今なら先生は雲だけじゃないってことも知っている

7月26日

近所のペットショップでは
この炎天下にインコを外に放置
足にひもをつけて・・
いくら熱帯の鳥とはいえ
よどんだ空気がレンズとなってさらに熱を集中させたような東京の夏の炎天下
大丈夫なのだろうか
素人目にも弱っているような気がする
翼のある生き物をかごに入れて飼う人の気持ちはさっぱり分からない
ペットショップのオーナーが
生き物を愛していないのがよくわかる
わざとそういうふうにしているのだろうか
人の情に訴えて
買わせようとしているのだろうか

7月27日

昨日は暑くて
寝る前に窓を閉め切って
クーラーのタイマーをセットして寝たのに
朝起きてみたら部屋中の窓が開いていた
さらに
無くしたはずのシャーペンが
机の上に置いてあった
さて、その理由は
1.記憶の喪失(暑さのせい)
2.無意識に自分でやった
3.別れた女が入ってきてやった
4.妖精の仕業
正解は4番
机の上にブルーと金色の混じった粉末が・・
妖精は実体化するときわずかな痕跡を残す
ブルーと金色の粉末だよ
茶色の粉末ではないよ
それはゴキブリのうんこ・・

本来英語と日本語というのは
根底に流れているリズムが違うので
どうしても日本語に翻訳すると
「翻訳調」になってしまう
柴田元幸氏の翻訳はそういう困難を軽々とクリアしていているのだ
ポリリズムといって
違うリズムをひとつの曲の中で共存させる手法があるけれど
彼の翻訳にはそれを感じる
彼は音楽家なのだ
先日、まんがのおにーさんがぼそっと言っていたけれど
優秀なクリエイターはどんなジャンルにせよ
根底に音楽が流れている。
というか
音楽を意識せずに生きている人を
僕は信じられない

ゴキブリのうんこで思い出したが
ゴキブリホイホイに捕まったゴキブリが
うんこをしている姿はとても切ない
もう生きる望みは絶たれたのに
うんこをするという生命の営みが
身動きのできないからだでたんたんと行われているのだ
涙が出るくらい切ないが
やっぱり仕掛けてしまう
蚊取り線香もそう
蚊とは関係ない虫までぽろぽろ落ちてくる
人は本当に罪深い
そうそう
蚊で思い出したが
蚊というのは前世で悪事を働いた人間の生まれ変わりだから
手でぱちんと潰されることで
カルマが解消されるのだと
人は罪から逃れるためにいろんな言い訳を思いつく

日本語は
「夕方」から生まれた言語
トワイライトな言語
現実と浮き世のはざまの言葉
現実的な主義主張を叫んだり
システムを語るのはとても苦手だ
でも来世紀
人は昼でも夜でもない
永遠の夕焼けに向かって走っていくのだ
地球の自転速度に負けないしなやかな脚力で

7月28日

作家に自殺をされると
じゃあ、今まで書いてきたことはなんだったんだ
どこに立って書いていたんだ
って、思ってしまう
本当の孤独も
本当の寂しさも知らなかったし
知ろうともしなかった
ということは
本当の優しさも知らないし
知ろうともしない
ただ、才能だけがくるくると空回り
壊れたエアコンの室外機のよう

「パイ(円周率)の神秘」(アーティストハウス)という本を買う
3.141592・・・
現在日本人が日立のスーパーコンピュータを使って
515億桁まで計算している
4万2000桁を暗記している人もいるらしい
ここまで計算してもなんの規則性もない
完全な混沌
僕らは完全なる混沌の中に漂っている
心許ない近似値なんだね
いい加減な存在だな(笑)

プールに行ったら
今日はなぜか空いていて
泳いでいる人が監視員より少ない
僕を含めて、たったの3人
昔、客よりバンドのメンバーの方が多かった
ジャズのライブに行ったことがあるけれど
それと同じくらい緊張しちゃった(笑)

ビールを飲みながら夜空を眺める
今日は月食

7月29日

そうだ、きのうプールで
トドのようにしなやかに泳ぐデブがいて
見ていてほれぼれしてしまった
(クロールなのにほとんど水しぶきが上がらない)
脂肪が多い方が浮力があって
水の中で体をコントロールしやすいのかな
巨人のマルチネスも
手首を柔らかくたたんでインコースを上手に打つ
しなやかデブ

一階の中国の人
何を血迷ったか風鈴をつるしている
風鈴は確かに風情がある
しかし
東京の夏は風鈴で涼をとれる限界温度をはるかに超えているのだ
さらに
エアコンの室外機の低周波と風鈴の音の相性はすこぶる悪い、と思う
エアコンまわしながら風鈴の音を楽しむ感覚もわからない
ようするに、カランカランうるさくて腹が立つのだが
文句は言えないよなー
いまは比較的日中友好関係にあるのだ
(たまに緊張は走るが)
とゆーか
いつもと違うやつが住んでいる
そいつの趣味だな
別の中国の人
中華鍋のさばき方のリズムが違う
料理の匂いが違う
おれにはわかる

中国に留学している友人を想う
国が違えば
人と人の距離感が違う
ちょっと親切にしてやったら
とたんに態度がでかくなりやがって、これだから大陸の連中は・・
と、むかついている排他的な僕とは違い
(絵描きとテロリストはたいてい排他的だ)
彼女は人間がとても好きなのだ
去年の夏に帰国してきたときにそのことを
彼女に言ったら
嬉しそうに笑っていた
素敵な笑顔だね
知性を磨くのは簡単だけれど
(排他的なのは感情より知性が先行しすぎているから)
感情を磨くのは本当に難しい
僕にとってはいつもどうしていいのかわからないことを
彼女は易々といったら怒られそうだが
やってのけてしまう
ますますいい女になったね
今年の夏はそう言おう

7月30日

うるさい!と文句を言わなくても
中国の人は自らの手で風鈴を撤去しました
きっとうるさくて眠れなかったのでしょう
(よかった、感覚が一緒で・・)
今年の夏は風が強いです
でも
適度に冷たくて気持ちがいい
夏の風は春の風のように体にまとわりつかない
さらっと通り抜けていく感じがいい
そうそう
女性はひとりひとり
独自の風を持っているそうです

プールで泳いでいて
息継ぎをするたびに顔を上げると
水面をホバリングしているとんぼと目が合う

7月31日

午前1時をまわると
僕の部屋の窓から月がよく見え始める
(ちょうど南側の窓は視界が広く開けているのだ)
部屋の電気を消して
ビールを飲みながら静かに月を鑑賞といいたいところだが
例によって
中国の人が中華鍋を振り回している音が聞こえる
夜中に中華料理なんぞ食べてると体をこわさない?
よけいなお世話か
知り合いで夜の10時にステーキを食うやつがいたけれど
(毎日じゃないけれどけっこう頻繁に)
先日肝臓を壊して入院しました
夜中に御飯を食べちゃいけません
あ、おれもか
(でも、つまみ無し)

釣り堀の横をぶらぶらしていたら
上半身裸のインド人が座禅を組みながら
頭にターバン巻いて釣りをしていました(笑)
ほんとだってば
傍らには日本人らしき女性が・・
多分彼女でしょう。
炎天下
全く日陰のないところで
身動きひとつせず
じっと緑色の水面を見つめている人たちの数は少なくない
日本人の釣り人の中に
インド人がひとり混じっていることで
釣り堀全体に
よりいっそう「瞑想」というイメージが漂うのです


back