かものはし日記 1999年1月号


1月2日

実家より帰還

あけましておめでとうございます
今年も宜しくお願いいたします

そういえば
去年の12月31日
実家に帰る途中
横浜駅の階段を
おばあさんが重そうな荷物を引きずりながら
上がっていたのを見て
「荷物持ちましょうか?」と声をかけたら
そのばばあは
荷物をキッときつく持ち直して
「結構です!」だって・・
そんな言い方しなくてもさ・・別に追い剥ぎじゃないんだから
という話を母親にしたら大笑いされながら
実は
母親の友人はもっとひどい目にあったらしいのです
その人は電車の中で痴漢を捕まえるという勇気ある行為をしたのでした
その後
電車に乗るたびに
女学生の集団に
「あの人は痴漢を捕まえた人よ」
と言われ彼の勇気はたたえられていたのですが
だんだんと日が経つにつれて
どこでどう間違ったのか
「あの人は痴漢よ!」
と言う情報にすり替わり
彼はもう恥ずかしくて
その時刻の電車に乗れなくなってしまったということ
心温まるいい話でしょ(笑)
みなさんもくれぐれも人に親切にしようなんて思わないように(笑)

1月3日

ポールオースターの新作小説
「偶然の音楽」はいまひとつだった・・
ちょっと合わない
でも相変わらず柴田元幸さんの翻訳は美しい
どちらかというと僕は作家より翻訳家のほうに惚れているのかもしれない

1月4日

洗足池の野良猫(バットマンタイプ)
に3日ぶりに会いに行って餌をあげる
背中の傷もだいぶ癒えてきた

生きていて一番難しいのは
ある問題が発生したとき
それが自分のせいで起きたのか
世界、もしくは他人のせいで起きたのか
を見極めること
宗教的に言えば
全部自分のせいなんだろうけど(前世でどうのこうの・・)
現実はそんなことでは対処できないのだ
ちゃんと「見極める」ということ
感受性と繊細さと勇気を総動員して
瞬間瞬間を見極める
ようするに
僕の言いたいことは
年末に
ばばあに親切にして不愉快な目にあったのは
おれのせいじゃないってこと(笑)

1月5日

ある問題が起こったときに
その問題に対して
果敢に取り組む場合と逃げ出す場合
この二つの選択肢が発生する
果敢に取り組むのはある程度の苦痛が伴うので
たいていは逃げ出す場合が多い(当然僕も)
しかし逃げれば逃げるほど
問題はドンドン大きくなり、今度は逃げないで立ち向かおうとしたときには
かなりのエネルギーを使わなければならなくなってしまう
実際逃げるのに費やされたエネルギーで
自分の中に残された生体エネルギーはほとんどなくなっている
果敢に立ち向かった場合
最初はそれなりに苦痛だけれど
立ち向かっているうちに消費するエネルギーはどんどん少なくなっていく
生体エネルギー的に考えると
逃げるより
立ち向かった方が効率はいいのだ
つまらない自尊心を守るために
逃げ出すことは
相当量の生体エネルギーを無駄に消費することになる
自尊心は生体エネルギーを一番大量に使う
(これはヤキインディアンのシャーマンの台詞)
お肌に良くない(笑)
早く老ける(笑)
などなど
あんまりいいことない
エネルギー消費量の多い自尊心は
ここぞ!というときに使えばいいわけで
普段は使わない方が健康にいい
ということで
今年のテーマは
「俺は逃げないぜ」だな(笑)

タイトルイラスト変えました
「東京インディアン」は友人のSAEちゃんのネーミング
都市(西洋の世界観)とインディアンの宇宙観の融合
都会の中でのインディアン的な生活
などなど
様々なイメージを想起させる
なにか来世紀の価値観を洞察するようないいコピーでしょ
パルコあたりが使いそうだな

1月7日

寒気団がやってきたらしくて
突然寒くなってまいりました
雪だ!
わーい
公園の野良猫達は大丈夫かな
ちょっと心配です

優れた作品の背後には
作者の偉大な苦悩が存在し
作品はその苦悩を大きな喜びに転化させる装置として機能します
それは装置と言うよりは
一つの生命体に近いのかもしれません
(当然その装置がなにかの作品である必要はありません
行動とか、言動とかなんでもいいんです。)
「悩み続ける」というのは
人が生きていく上で一番大切な能力の一つ
だから
「悩み続ける」というのは素敵なことでもあります
なぜかというと
悩み続けることから生み出された喜びはとてつもなく大きいから
(当然自分だけの喜びではなくて)
年齢を重ねると
苦悩というものを上手にさけるテクニックが身に付いてしまって
なかなか苦悩の本質に
立ち向かわずにやり過ごしてしまうことが多々あります
そしてやり過ごしてしまったことへの罪悪感など微塵も感じずに
やり過ごしたことを可能にした自分の野卑な才覚に
ささやかな喜びを見出していたりします
しかし
今年のテーマは
「逃げない!」ですから
身に付いたテクニックをなるたけ捨てて
ゼロから始めたい
そう思ってます

1月8日

さむい
(注)心じゃないよ、天気だよ

さむい
(注)天気じゃないよ、フィフスエレメントだよ
(金曜ロードショウでやっていたのを5分ほど観る)

1月9日

買い物(コーヒー豆、修正液、ファックス用紙)から帰ってきたら
玄関にかわいい女の子が二人立っていて
にこにこしてました。
やった!ラッキーなーんて、全然思わなくて
案の定、宗教の勧誘だ
どんなお仕事なさっているんですか
えー、イラスト描かれているんですかぁ
いろいろ聞くんで
朝日新聞で政治漫画かいて
エロトピアでエロ漫画毎月24ページ描いているんだよ
と言ってやりました(うそ)

1月10日

エロ漫画といえば
今コミックボックスで不定期連載している
「ドローイングセラピスト」は誰も指摘してくれないけれど
エロ漫画です(笑)
何かが生み出される瞬間
そこでは必ず世界との他者との交感があり
愛(エロス)の実践の場であるわけです
絵を描くときだって
やはり何かとセックスをしている
ジミ・ヘンドリックスがギターを弾きながら
射精をしている映像をどっかで観たことがあるけれど
彼は
音楽とセックスしているわけです
音楽を愛している
この世に生み出される命あるもの(音楽とかも含む)は
愛によって生まれたものです(憎悪でもね)
ただ
最近はちょっと気になることが・・あってさ
クローン技術
すべての生命体はセックス(愛)からうまれてくるわけでしょ
生命倫理とか言う前に
愛を介在せずに生まれてくる生命体が存在するなんて
信じられないし
ぞっとする
世界からすべての愛を排除するために科学はあるのか
科学は世界に対して完全に無関心になる状態をめざして
とりあえず、それが達成されるまでは
世界に関心を持っているのか
科学って「真実」を追究しているようで
実は物事の本質から無意識に逃げているよな
いいかげん
科学の方法論なりなんなり(パラダイムっていうやつ?)を変えて欲しい

ひさびさにマックでお仕事
YMCAの歌のフレーズで
CMYK!(シアン・マゼンダ・イエロー・黒)
CMYK!
フォトショップはやりたいこと何でもできるのーさー
CMYK!
CMYK!
・・・
と口ずさみながら仕事を終える
(バカですみません、でもいい替え歌でしょ・・)

NHK教育で一日中、学校教育についての番組をやっていて
なかなかおもしろかった
なかでも
文部大臣と子ども達の討論会がいちばんおもしろくって
文部大臣を
大臣とか有馬さんと呼ばずに
「あなた」呼ばわりする中2の女の子とかいて、すばらしい
子どもはいつも正しくそして賢い
バカなのは大人だけ

子どもの味方代表の江川紹子さん
江川さんはすっぴんでも十分綺麗です
口紅しないでね(なんか違和感)

1月11日

遠方の友人と
インターネットフォンの送受信実験をやる
(なにやってんだか・・)
多少タイムラグがあって話しづらいけれど
(なんか子どもの頃にやっていたアマチュア無線のよう・・)
音声はクリアに聞こえるし
なかなかすごいぞ
それに世界中どこの奴と話しても3分10円だしね
海外との遠距離恋愛に使えるね
多少のタイムラグが
もどかしくてエロチックだ(笑)

訳あって
冷凍食品のコロッケを食べる羽目になる
(いままでほとんど食べたことない
もし子どもの頃母親が弁当に冷凍食品のコロッケなんて入れていたら
確実にぐれていたな(笑))
あまりのまずさに
気を失いかけた・・というのはおおげさだけど
まずい!
食べ物としてのオーラ?を失っている(笑)
食べ物のオーラをまず冷凍して気を失わせて
解凍時に電子レンジのマイクロ波でとどめを刺す
そんな感じ
食べ物はちゃんと手間をかけて作って
感謝していただかなくてはいかんよね
でも
コロッケがまだ4つも残っている
どうしよ

1月12日

気のいいおばちゃんがやっているラーメン屋で
半ラーメンと餃子を注文したら
いっぱい食べてねと
頼んでもいないライスまで出されて
暗澹たる気分で食べ始める
(俺は食が細いんだよー、外見は丈夫そうだが・・)
ぜいぜいいいながら食べ終わって
(好意で出されたものは、とてもじゃないが残せない)
這うようにしてラーメン屋をでる
(気分が悪い)
気のいいおばちゃんは嫌いだ
もう二度と来るか(笑)

マッコウクジラの胸びれは
収納式なんですね
だから泳がないでぷかぷかしているときは
ほぼ涙滴型の流線型
流線型おたくの私としては
それをNHKの生き物地球紀行で知って感動しました

1月13日

五反田でうち合わせ
ちょっと時間が空いたので五反田駅周辺を散歩していたら
JRのガード下横の石垣に
たくさんの鳩が石垣の出っ張りを足場にして
へばりついていて
ひなたぼっこをしていた。
なかなか見られない光景なのでしばし足を止めて見入る。
(だって壁面にレリーフのように鳩がいっぱいいるんだよ)

昨日はいろいろ考え事をしていたら
あんまり眠れなくて
睡眠不足だ
でも早起きしちゃうんだよね
(自由業なんだから寝てればいいのに・・)

1月14日

マイケル・ジョーダンが引退して
彼の活躍が経済に与えた影響が約1兆円というのが
ニュースのメインテーマ
この世のすべてのものは
お金に換算できる、というよりは
数値化できる。
なんでも鑑定団が流行っているのもそう
自分の趣味を数値化する。
芸能人の離婚の慰謝料とかさ
想い出も愛でさえも数値化できる。
数値化すると分かりやすい
世の中こんなに分かりやすくていいのか
なんだかどんどん世界が簡単になっていく気がして
ちょっと恐い

1月15日

知り合いの編集者が他界しました
まだ若いのに・・
綺麗な女性と結婚したばかりなのに・・
みなさん
この世に寝食を忘れてやらなければいけない仕事など存在しません
人間社会の義務を全うしようとするより
地球の生命体としての義務
「食べて寝て休む」を行使してください
くれぐれも体を大切に・・
彼の冥福を祈ります
光の中へ
INTO THE LIGHT

P.D.ジェイムス原作「女には向かない職業」の映画をビデオで観る
女探偵コーデリア・グレイ
探偵事務所でじーさんの探偵のアシスタントをしていたのだけれど
じーさんの突然の自殺で
彼の仕事を引き継ぐことになる・・
女探偵と言えばキャスリン・ターナー演じるウオシャウスキーが有名だけれど
こちらの方もなかなか魅力的
ただ映画としての出来はいまいち
オープニングはなかなかおしゃれで期待をさせられたんだけれど
この監督、女性の心情を演出するのがへたみたい
きっと原作はもっとおもしろいんだろうね

1月16日

1000の風

私の墓石の前に立って
涙を流さないでください 
私はそこにはいません
眠ってなんかいません

私は1000の風になって
吹き抜けています
私はダイアモンドのように
雪の上で輝いています
私は陽の光になって
熟した穀物にふりそそいでいます
秋には
やさしい雨になります

朝の静けさのなかで
あなたが目覚めるとき
わたしはすばやい流れとなって
駆け上がり
鳥たちを
空でくるくる舞わせています
夜は星となり
私はそっと光ってます

どうか墓石の前で
泣かないでください
私はそこにはいません
私は死んでいないのです

作者不詳

「あとに残された人へ 1000の風 ポケットオラクル6」南風椎訳
三五館 1995年
より勝手に抜粋しました。
心理学者の河合隼雄さんの著書「ユング心理学と仏教」(岩波書店)にも載ってます
問題があれば消去します。
ご連絡ください
(僕の一番好きな詩です。いい詩でしょ?)

1月17日

あとに残された人・・
考えてみれば
この星のすべての人たち(生き物も)は
みんな
あとに残された人たちなのですよね。

眠りが浅いせいか、最近夢をよく観ます
ふと思ったのですけれど
映画を観ていて
映画の演出に違和感がなく
自然に受け入れられるのは
夢と演出方法が同じだからなのではないでしょうか
(たとえば最初は遠景に人がいると思ったら
次の瞬間その人は自分になっていたりとか・・)
それとも
映画に影響を受けて
夢が映画のような演出をしているのか
ひょっとすると
映画が生まれる100年以上前の時代の人の見る夢は
映画のような演出方法ではなく
違った形式をとっていたのかも

1月18日

テレビタックルを観ていたら
グリム童話というのは
かなり戦略的に近代人というものを人々に刷り込んでいたみたいです
男は泣かないとか
女は優しくて働き者とか、男に尽くすとか・・
グリム童話以前の
昔の男はよく泣いたそうです
いいなあ、ちょっとうらやましい
僕は
目頭は熱くなっても
「泣く」という感覚はほとんど忘れています
たまにはおいおい泣きたい
(欲を言えば女の子の胸の中で(笑))
泣かなくなった男が
理性優位の近代社会を作ったんですね
多分

1月19日

宙返り 何度もできる 無重力
に下の句が付いたそうです
やれやれ
この程度の哲学?しか持ち合わせていない人間が
宇宙に行って欲しくない、と密かに思う
真っ暗な宇宙空間に奇跡のように浮かぶ青い星を観て
なんかもっと違った感想はないのか

昼間何気なくテレビを観ていると
西武警察(朝っぱらからこんなもん観たくない(笑))の再放送やっていたり
ろくなもんがなくて
離婚会見やっていたりして
25年間の結婚生活がわずか2ヶ月で壊れてしまったなんていう
芸能人の会見を聞いていると
男女関係というのは恋ではなく
愛情を育まないと
出会ってもなんの意味もないんだな、と
しみじみ思ってしまうのであった。

1月20日

今日はぽかぽか

1月21日

青山のクレヨンハウスで打ち合わせ
クレヨンハウスというのは
表参道のスパイラルホールの近くにある絵本専門店(一階)
(二階は子どものための手作りおもちゃ、3階はフェミニズム関係の本)
児童文学作家の梨木香歩さんの新刊
「裏庭」(理論社)を買う
第1回児童文学ファンタジー大賞受賞
出だしはなかなかいいし
優れた作品だと思う
(まだ5分の1も読んでいないけど)
でも
児童文学の文体って何か子どもをバカにしているような気がするんだよね
母のように語りかけてくるような
甘ったるい文体
子どもたちは大人が思っているよりずっと冷静に
自分なりの世界の見方を確立しようとしているはず

今日は後藤の誕生日!

1月22日

母というイメージ・・
思うに
女性は子どもがいようがいまいが
「母」である必要はないと思う
(そもそも母性本能という言葉自体が胡散臭い)
女は生まれたときから女で、死ぬまで女だ
女性は女性のままでいい
それですべてのことに対処できる気がするんだよね
逆に男は「父」になる必要があるのかもしれない
だって
永遠の少年というのは
世界を破壊しかねないもん(笑)

阿佐ヶ谷でうち合わせ
ようやく3年間ぽつぽつと連載していた漫画
「ドローイング・セラピスト」が
一冊にまとまります。
(といっても、完結しているわけではなくて
これからも連載は続いていきます。)
うまくいけば
4月頃発売予定(書き下ろしカラー漫画付き)

昨日の打ち合わせは
宮沢賢治の詩を題材にした絵本がなんとか夏には出せそうという話
がんばれば
今年は2冊は出せるかも

1月23日

最近は夜、散歩をする
冬の夜空は空気が澄んでいて星がよく見える
何十年後
火星にも人が住んでいて
そこにもきっと
マクドナルドがあるんだろうな、と思ってしまって
イヤーな気分になってしまった。
人類が宇宙に進出しませんように
とお星様に願う(笑)

1月24日

いったいこの前はいつ雨が降ったんだっけ?
と思うくらいの久々の雨
結構うきうきしながら傘を差して外出する。
しばらく雨を見ないと
雨がまるで奇跡のよう
だって空から水がふって来るんだもん(笑)
これが雪になってくれるともっと嬉しいんだけれど

エンキ・ビラル原作監督の映画
ティコ・ムーンを遅ればせながらビデオで観る
後藤は試写会で見てつまんない、と言っていたが
まったくそのとおり
でも
青とグレイを基調にした世界観が綺麗だった

1月25日

4コマまんがというと
笑いをとる、というのが基本ですけれど
そうじゃなくて
切なさとか
悲しみとか
喜びとかを
表現する4コマまんががあってもいいじゃないか、と思うのです
日本は俳句の国です
4コマまんがを俳句に見立てて
4コマまんがをたしなむ・・
4コマ俳句会とか
この4コマには季語ならぬ季絵?がないとか(笑)
4コマまんが俳句集とか
カラーでやると綺麗かも

最近
「庭師」という言葉に
ちょっと惹かれる
環境が破壊された地球を自らの手によって
修復しようという意志があるのなら
その時活躍するのは
「庭師」だ。
地球を庭に見立てれば
人のあらゆる行為は「庭仕事」ということになる。
庭というのは手入れをしなければ荒れ果ててしまうらしい
(手入れとはいろいろな植物の性質を見極めて調和をとること)
実は
本当の自然というのは
人間が介在しないということではなく
「庭師」としての人間が、丹誠込めて手入れをしなくては
いけないのではないかと、ふと思う。
(ちょっと傲慢な考え方かな・・)
今我々が「庭師」としてしている行為は
ほとんど破壊行為だけれど
いつか
本当の「庭師」になれるかもしれない
自然をコントロールする科学ではなく
自然を尊敬する科学
その科学に携わるのは科学者ではなく
紛れもなく「庭師」の仕事だ
その時の「庭師」の姿を
おぼろげながら思い浮かべてみると楽しい
なんか絵になりそう・・でしょ?

1月26日

雨上がり
湿度が高いせいか
空気がしっとりとしていて
気持ちがいい
こーゆう貴重な日はなるべく外に出て散歩にいそしむ

庭師、庭師と考えていたら
奇遇にもテレビ東京で「チャンス」という
ピーターセラーズの遺作となった
子どものように無垢な初老の庭師が
ひょんなことから大富豪に拾われて
大統領にあって
いろいろな人たちの信頼を得ていくという
ちょっと不思議でファンタジックな映画がやっていました。
なんか子どもの頃観たような気もします。
ピーターセラーズの繊細な演技を観ていると
ちゃんと自分らしく生きてきた人は
年老いて初めて
本当の子どもになれる。
そんな気がしました。

バーボンを買いにコンビニへ
I.W.ハーパー
ほんとはアンドロメダのレッドバーボンが飲みたい
(注)キャプテンハーロックが好きなバーボン(笑)

1月27日

なんだかんだいっても
NHK教育って、時代の最先端!
という気がする。

映画「メリーに首ったけ!」予告CM
ちょっと観たいな
キャメロン・ディアスとメグ・ライアン
一瞬、区別がつかなくなる僕は
絵描き失格か?

1月28日

そうです
今日は僕の誕生日です
メールありがとうございます
うれしいです
世界中から各界からプレゼントがきて
うちの1000坪の裏庭はプレゼントでいっぱいです
サマランチ会長からもいただきました
さっちゃん、ありがとう
IOCやめないでがんばってね!(笑)

友人より誕生日プレゼントに
大量ファックス
大島弓子さまの猫まんが
「グーグーだって猫である」が8話分くらい送られてくる
(「窓」とかいう本の目録のようなものに連載しているらしい)
いい話ばかりで泣いちゃうよ
早く単行本にならないかな
さて
猫と女は野放し
というのが私の他者との関係性の基本である
(この際男のことはどうでもいい)
愛する女性と猫の自由を守る!
というのが
私がこの世に生まれてきた理由の一つだ(笑)
野放しにするというのは勇気がいるのだ
猫なんかいつ車にひかれたり
誰かにつれて行かれたりするか判らない
それでも勇気を振り絞って
安全な家の中から解き放ってやるのだ
車にひかれるのも
どうにかなるのも
彼らの自由である
それを毎日どきどきしながら帰りを待つ
(アナクロが生きていたときはほんとに毎日どきどきもの)
女性の場合も野放し
ただこの場合は野放しにしすぎて
(実は猫ほど心配しないから・・)
ふられたことがあるので今現在距離感の修正を迫られている
(ま、今は両方いないから、平和だ・・平和ってつまんないね)
猫と女との違いはただ一つ
猫は俺の目の前で死んで欲しい
女性の場合は俺より先に死なないで欲しい

1月29日

親戚づきあいをほとんどしない僕だが
(別に嫌いというわけじゃなくて、たまたまそうなっただけ)
久しぶりに
おじさん、おばさん、いとこのねーちゃんに会う
いとこのねーちゃんはほとんど20年ぶりくらい
多分50才くらいだと思うが
(僕より一回り以上上だと思う)
若々しくてなんか綺麗だったな
子どもの時とおなじように
おねーちゃん、と呼ぶのがちょっと恥ずかしい
俺はいくつになっても
ひろちゃん、だぜ(笑)

ほんとに商品券って発行されるんだね
ちょっと信じられない

些細なことに
自分の使命を見出す
俺は洗足池の猫に御飯をあげるために生まれてきたのだ!
とかね
楽しいでしょう?そういうの考えるの
別に世界を征服するだけが
「使命」とか「生まれてきた理由」じゃないものね
些細なことが一番面白い
スケールの大きいことって
ありきたりでつまらないもん

そうそう
電車の中で去年買った日野啓三氏の自薦エッセイ集を読む
10年前エスクァイア誌に載っていた
「メタモルフォーゼ」というタイトルの一番好きなエッセイを
読み返す
最後の3行が大好き!
(また無断で抜粋)

君の守護霊は妖精たちのように自由か?
どのような変容にも耐えられるだけ、君の意識はしなやかに空虚か?
新しい宇宙的一体感を虚心に受け入れられるだけ、さわやかに孤独か?

興味のある人は是非読んでね
日野啓三 自薦エッセイ集 魂の光景
集英社 2100円

1月30日

1月10日の日記について
僕の意見に
反論のメールをいただきました
反論って初めて
嬉しいです
僕は自分の意見が正しいなんて
これっぽっちも思ってません
共感のメールは当然嬉しいですけれど
反論のメールも嬉しいです
いろいろ意見を聞かせていただけると幸いです
いろいろ教えてね

仕事じゃなければ
絶対行かない土曜日の新宿
人をかき分けかき分け喫茶店へ
なんかむやみに疲れて
のども痛いので
うがいをする。
今日は早く寝よ

1月31日

学校が洪水で水没する夢を見る
こんなにはっきりカラーで夢を見るのは久しぶり

友人の女性編集者と後藤と三人で飲みに行く
去年彼女が山伏の修行に行ったという話で盛り上がる
山伏の修行は基本的には男性のみなんだけれど
ここ数年女性にも開かれてきたようだ
女性が山にはいるのを禁じているのは
差別でもなんでもなく
女性の方が男より山にシンクロしやすいらしくて
危険だから。
彼女の修行は観光旅行に限りなく近いくて
たった2泊3日なのだけれど
1週間の本格的な修行もあるらしい
なんと1週間の修行を終えると「山伏名」がもらえるらしい
(なんとか坊とかいうのかな)
かっこいいでしょ
名刺の名前の下に山伏名とか入れたりして
後藤がすごーく行きたそうな顔をしていた。


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